「47歳、プライドを捨てて会社に戻った男の話」

自便は今年で47歳になる。
2003年、24歳で入社した会社に、21年勤めたあと、2023年に一度辞めた。

なぜ辞めたのか。
それは、経営陣がガラッと変わったことが大きい。
前社長が引退し、元下請けだった会社が吸収され、そこの課長(婿養子)が新社長になった。
さらに、その下にいる役員や常務執行役員も、ほとんどが元部下や古い繋がりの人間たち。

かつて前社長に気に入られていた僕も、昇格のチャンスがありながら、タイミングを逃した。
コロナ前、課長昇格の打診もあったが、「残業代がなくなるなら、昇格しない方が収入は高い」と判断し、断った。

そしてコロナの影響で残業が消え、給料は激減。
その中で新しい社長の方針にはどうしても違和感を感じ、年収???万円(日本人男性の平均年収より200万くらい上)という現実を捨てて退職を決意した。


タクシー運転手か、義父の建築会社か

辞めた直後、タクシーの運転手でもやろうかと考えた。
先に辞めた同僚が「稼げる」と言っていたからだ。

でも、妻が猛反対した。理由は言わなかったが、多分“世間体”だったのかもしれない。

結果、妻の父親が経営する小さな建築会社に入ることに。
「そのうちお前を社長にする」と義父は言ってくれた。
ただ、その会社には前年に1億円の負債を出した義理の兄がまだ在籍していた。

「すぐに辞めさせるから」と言われ続けていたが、実際にはお金の流れも義理の兄が管理していて、変わる気配はなかった。


初めての現場仕事、それでも新鮮だった日々

46歳で建築現場の工事に携わるようになり、右も左も分からなかった。
でも、現場は新鮮で、すべてが学びだった。

職人の1/3は外国人。
片言の日本語や、翻訳アプリを使ってのやり取りは大変だけど楽しかった。
気性の荒い職人たちにも、自分の本気が伝われば認めてもらえる。
先輩よりも信頼されていたことは、正直うれしかった。

ただ、義理の兄のことだけがどうしても引っかかっていた。

あるとき、義理の父に思い切って尋ねたことがあった。
「彼(義理の兄)はどうするつもりなんですか?」と。

少し沈黙のあと、義父はこう言った。
「……あいつは、見捨てたらもう無理だろう?」

その言葉を聞いた瞬間、どこかで納得した。
ああ、やっぱり実の息子は見捨てられないんだなって。
当然のことだ。血の繋がった親子なんだから。

でも、そのとき、自分の中で張り詰めていた糸がふっと切れるのを感じた。
「やっぱりそうだよな。逆の対場でも自分もそうすると」
――そんな現実を、静かに突きつけられた気がした。


「戻らないか?」—元の会社からの誘い

そんな時だった。
辞めた会社の現社長から、何度か「戻らないか?」と誘われた。

一度は「格好悪いから無理」と断った。
でも、どこかで自分でも戻りたかったのかもしれない。

飲みの席で、総務部の後輩とカラオケ勝負をして、「点数で負けたら戻る」と冗談のように言った。
当然負けた。あいつは俺より歌が上手い。きっとわかってて勝負したんだろう。

そんなこんなで、2024年5月、たった4ヶ月で義父の会社を辞め、古巣に戻ることになった。
(高校生のバイトみたいな短さだった)


出戻りの現実と、再び感じた「悔しさ」

戻ったとはいえ、給料は前より下がったし、役職もない。
でも、家は近いし、事務のサポート的な仕事も悪くない。
昔の法人営業の華やかさはないが、「この程度でこの給料なら、まあいいか」と思っていた。

そんな中、2024年9月、転機が訪れた。
代理店が倒産し、直営営業所を出すことになった。
支社長として本社営業の人間が名古屋へ異動し、本社の人員が足りなくなった。

そして、売上の3割を占める重要な取引先の担当として、自分と中途入社2年目の若手が任されることになった。

ただ――その取引先の「本店担当」は、その若手社員だった。


プライドは捨てたはずだったのに

彼は確かに優秀だ。英語ペラペラで、前職は商社という高卒ばかりのこの会社には異色の経歴。
でも、自分は20年以上この会社で働いてきた。

支店や小口の営業を任される自分と、いきなり本店を担当する若手――正直、歯がゆかった。
しかも、その若手には近々「役職」が付くという噂まで流れている。自分にはそんな話は一切ない。

自分の役割は「新人が育つまでの補佐」――つまり当て馬。
頭では理解していても、心では割り切れなかった。

「プライドは捨てた」と思っていたのに、まだ自分の中にあったんだと気づかされた。

でも彼は、本当に真面目でいい奴だ。
37歳で、幼い子どもが3人もいて、必死に家族のために頑張っている。
仕事にも一切手を抜かないし、誰にでも丁寧に接する。
だからこそ、個人的には「彼が上に上がること」を喜んでいる自分もいる。

複雑だけど、それが本音だ。
悔しさの裏に、ほんの少しの誇らしさや希望がある。
自分だって、まだ捨てたもんじゃない。きっと、そう思いたいんだ。


それでも、家族のために今は耐える

今はただ、耐えている。
中3の娘の進学、そして自分の借金完済という最低限のゴールを達成するまでは。

本当はもっと認められたい。
自分の価値を、誰かに見ていてほしい。
でも今は、焦らずに「やれることをやる」しかない。


53歳からの人生を、俺らしく生き直す

かつて21年勤めて辞めた会社に出戻った自分。
常に情けないと思ってしまい毎日が辛い。心の中ではそんなプライド捨てろ!と思っているのに・・・

でも、もう一度踏み出したこの道で、自分にしかできないやり方で前に進んでみようと思う。

借金返し終わった53歳からが「人生の本番」でもいいじゃないか。
懲役みたいだった前半戦を経て、後半戦はもっと俺らしく生きる。

その為のブログであり記録。

もう一度、這い上がる。それが今の目標だ。

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